神前結婚式だったというと、まず思い浮かべるのは国家神道とのからみである。このロイヤルウエディングは、日清戦争(一八九四〜九五年)と日露戦争(一九〇四〜○五年)にはさまれた富国強兵期に当たっていた。近代国家の体裁をととのえるために、明治政府が「天皇を中心とした神の国」の建設をめざしていたのは周知の事実。また、国家神道の下での神社は「国家の宗祀であって宗教ではない」という変な位置づけで、葬式(神葬祭)を行う自由は制限されていた。葬式ビジネスを寺に独占されていた神道界にとっても、結婚式は新たなビジネスチャンス、いやありがたい教えを広める絶好の機会だったにちがいない。その証拠に、ロイヤルウエディングの翌一九〇一(明治三四)年には、早くも日比谷大神宮(現在の東京大神宮)で模擬神前結婚式(一般むけのデモンストレーションである)が開かれ、そのまた翌年には同じ日比谷大神宮で初の神前結婚式が行われている。昔ながらの盃事と神前での誓いを組みあわせた式次第は、現代の神前結婚式とほとんど同じ。その後の神前結婚式に大きな影響を与えたことはまちがいないだろう。やがて、乃木神社、出雲大社系の神社、天満宮、平安神宮など、有名神社がつぎつぎと神前結婚式の名のりをあげ、神社で結婚式をして料理屋で宴会をというパターンが、昭和初期には一部上流階級の間で流行した。
葬列のかたちをとって墓場へ行くときに、七つの橋や辻を通過することは重要な点てある。“カジマヤー”という語は、風車のほかに「道の交差点」、あるいは「辻」の意味もあるからで、七つの橋や辻を通ることは、その人の人生を集約した時空間を通過したことを意味するのだろう。そして究極の段階で死の世界に入り、ふたたびUターンして現世へ戻ってくることを儀礼化しているのである。ただし現在のカジマヤー祝いは、死の部分が欠落している。かつてそのように行われていたという記憶にとどまっている。むしろ九十七歳を迎えた者の盛大な長寿の祝いとなっているのは自然の理である。そしてその基本には、年を永いあいだ重ねてきたこと、とりわけ高齢になって長寿を確認することの祝いが、一つの生き甲斐となっていることは間違いないのである。
お正月は人の出入りが多くなります。迎える側としては、できれば、訪問は早めに切り上げて欲しいというのが本音でしょう。年始挨拶でまず心がけたいことは「長居をしない」ことです。玄関先で簡単に挨拶をしてお年賀を渡したら、おいとまするくらいに考えておくことが上級マナーといえます。祝いの食事をすすめられても、一皮は遠慮することも大人の対応です。京都では日常でも「ぶぶ漬け(お茶漬け)でもおあがりやすか?」とすすめられ、真に受けてご馳走になると「なんや、厚かましい人やなあ」と見られるということはよく知られた話です。「ご挨拶だけのつもりですから、今日はこちらで失礼いたします」と遠慮して、さらにすすめられたら短時間おじゃまする姿勢がいいでしょう。私は子どもの頃、お客様に早く帰っていただきたくて、ほうきを逆さに立てて手ぬぐいをかけておまじないをしたものです。